日本での生活が窮屈すぎる。ルール、マナー、伝統が面倒臭すぎるって話。

全ての大学生に向けて

アメリカ合衆国への交換留学から、日本に帰国して早くも3ヶ月が経ってしまいました。

この3ヶ月、色々ありました。

日本で籍を置いている大学で復学等の事務手続きから、インターンシップ、所属している研究室にちょっと通ったり・・・

そんなこんなで、「やっと日本に帰ってこれた・・・!!!」って感じで最初の方は、帰国した事が嬉しくて嬉しくてたまらなかったんですよね。

美味しいお寿司、ラーメン、焼肉などの日本料理も食べることができますし。

ただ、帰国して2ヶ月が経った辺りから、

Rem
日本社会での生活がすごく窮屈に感じて来たンゴ・・・

って感じるようになって来たんです。

そこで、どうして日本社会が窮屈だと感じるのかを記事に残しておきたいと思います。
(就職活動を始める前に、自分軸を固めるための1つのソースとして残しておきたいからです笑)

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今思い返すとアメリカでの生活が自由すぎた

実際にアメリカに身ををいていた時はそこまで感じていなかったんですが、

アメリカでの大学生活ってかなり自由でした。

Rem
勿論、いい意味でも悪い意味でも・・・笑

僕が留学していたのは、アメリカ合衆国のワシントン州というところです。

アメリカ合衆国の中でも、ロッキー山脈より西側に位置している、つまり西海岸の3州はリベラルな州だと言われています。

その3州のうちの1つ、ワシントン州で生活していたんですから、ワシントン州流の「リベラリズム」は嫌という程身に沁みています

「リベラリズム」とは「自由主義」を指し、大英帝国の専制君主に反旗を翻して独立を勝ち取った米国にとって、まさに国の根幹となる思想である。

それは欧州の政治的伝統を織りなしてきた三つの思想のうち、「貴族主義」と「社会主義」の二つを否定することを意味する。すなわち、特権階級や巨大政府による支配のいずれをも拒み、政治的・経済的に独立した自由な市民(デモス)による統治を重んじるということである。

引用:WEBRONZA

まあここでは、本当にアメリカ市民が政治的。経済的に独立した自由な市民かどうかという議論は置いておきますが、

確かに僕も、アメリカの市民権は持っていなかったとは言っても、自由な市民として1年間勉強できていたんです。

通っていた大学も、リベラルアーツカレッジっということもあって、京都大学もびっくりするくらい自由な校風の中勉強させてもらっていました

特にルールもない、常識を常識と容易に信じ込まないことの大切さをアメリカ生活の中で学んでいたんだと思います。

ちなみに特に驚いたのは、教育実習なのに私服、髪型、髪色自由だったということ。教育現場に足を踏み入れるというのに、それでもなんのルールもなく自由だったんです。

そしてアメリカで教育実習を行った公立小学校もめちゃくちゃ自由でした。教員も私服、生徒も勿論私服、ある種のカルチャーショックを受けたことを今でも覚えています。

大学で受講していた講義で、ある教授が言った印象深い言葉があります。

誰かにとっての常識は、自分にとっての常識ではないかもしれない。行きすぎた常識やルールは個性を潰す。 

勿論、この言葉には、アメリカという移民国家というバックグラウンドを含めての発言なのかもしれません。

ただ、これまで日本でずっと教育を受けて来た僕は、この言葉に妙に納得をしてしまったんですよね。

日本社会のどこが窮屈なのか

日本に帰って来た3ヶ月生活して、どこに窮屈さを感じたのか書いて行きます。

まあそれはズバリ、無駄なルールが多いこと。

そしてその「当たり前」を強要してくる文化に辟易してしまったということです。

正装、スーツの良さが本当にわからない

勿論、正装の良さがあることも知っています。

ビジネス、社会人として生活していく上で欠かせないのが相手とのコミュニケーション。

そのコミュニケーションの根幹をなすのがファーストインプレッションだし、ファーストインプレッションをよくするためには清潔さが必要なのことも重々承知です。

たださ、ずっと正装でいる必要があるのかが分かりません

革靴が特にそうです。なんであんなただ暑くて蒸れるし、歩きづらい靴をずっと履いておかないとだめなんですかね??

デスクワークとか、リラックスして仕事をする時くらい歩きやすいサンダルでも良くないですか?

日本に帰って来てから、アルバイト、インターンをして来てかなりストレスだったんですよね・・・笑

自分らしさは封印しようよしてくるのに、職業らしさは求めてくる不思議

例えば、髪型や服装。

日本社会は、とにかく僕たちの個性を封印しようとしてきます

思い返してみると、それは中学校の時からではないでしょうか。容儀検査でみんな同じ髪型になって登校してくる。そもそもみんな同じ制服に身を包んでいる。

良くニュースで見かける入社式なんかだってそうです。JALやANAの入社式を見てくださいよ、ドッペルゲンガーだらけですよね。

そんなこんなで僕たちは僕たちの外面の個性を封印しながら生きているんです

そしてそれは、職業らしさを強要されていることと同義です。

でもそれっておかしくないですか???

自分らしさは捨ててOKだけど、職業らしさは常に身につけておかないといけないんでしょうか。

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日本社会不適合者なのかな。将来が不安だよ笑

こんな感じで日本社会に窮屈さを感じているんですが、の窮屈さを感じていることは日本社会では当たり前とされていることなんですよねえ・・・

そんなことに窮屈さを感じているなんて、僕は就職できるんでしょうか。

少なくとも保守的な体制の日本企業に就職なんてしてしまったら、窮屈すぎて死んでしまうかもしれません。

外資系企業メインに受けていく予定ではあるけど、外資系企業も日本にある以上はある程度日本文化を踏襲してるしどうだろって感じ。

僕の同期でマレーシアでコンサル会社に就職が決まった友達がいるんですが、彼女の話を聞いているととても羨ましく思っている自分がいます。

いっそのこと外国で就職しようかなあ・・・

お金も大事だけど、それ以上に自由さって重要だと思いますよね。

高望みしているのは重々承知ですけど・・・笑

誰かにとっての常識は、自分にとっての常識ではないかもしれない。行きすぎた常識やルールは個性を潰す。 

どうしてもこの言葉が頭から離れないんですよね。はあ、リクルートスーツに革靴履いて就活したくないなあああ