どうもこんにちは、Remです。
いきなりで申し訳ありませんが、みなさんのご両親ってどんな方でしょうか???
こういうかなり曖昧でハッキリとした明確な解が存在しない問いに対して答えることは、僕個人的にかなり苦手なんですけどね笑
僕もこれまでの人生を振り返ってみると、「親の顔が見てみたい」なんて嫌味が包含された言葉こそ言われたことはありませんが、例えば学校で良いことをすれば、「お母さんもきっと喜ぶわね!」だとか「ご両親も鼻高々でしょう!」なんてことを言われたことはあります。
先ほどの問いに戻ると、僕自身のその問いに対する答えは、

と答えるかなって感じです。
なぜ突然このような質問をしたのかというと、実際に就職活動をやっていく中で「両親から与えられた価値観や影響の偉大さ」に気づいたからです。
今日は、それを記事にしていきたいと思います。
- 就職活動の人物重視採用について知りたい人。
- 就職活動を個人の能力だけで採用されると思っている人。
- 子供は産まれる家庭を選べないという言葉に何か感じるものがある人。
記事自体も数分でサクッと読めますので是非どうぞ!
この記事の目次
「親ガチャ」は、現代の格差問題にも迫る、産まれながらにして究極の不平等。

ここ数年の話になりますが、「親ガチャ」という言葉をよく聞くようになりませんでしたか???

例えば、ここ最近の話だと、某小学生YouTuberの「ゆ●ぼん」とか。
彼のやっていること、思いなどは個人の自由があるので僕個人としては否定も批判もしませんが、
彼が話題になった時、Twitterなどで「親ガチャでハズレを引いた男」みたいな感じの大喜利大会が開かれていたような気がします。
子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現。ソーシャルゲームにありがちなキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方。
引用:weblio
この表現かなり言い得て妙だと思いませんか?笑
僕自身モンストやパズドラなどのソシャゲをやっていた時期があるので、この表現にはかなり親近感も感じます。
特に思うところは、ソシャゲのガチャはリセマラ(リセットマラソンの略)をすることができますが、僕たちの人間の営為における親ガチャではリセマラができないっていうところが味噌です。

そしてなんと悲しいことに、この「親ガチャ」が子供の人生を大きく左右することも事実であり、その結果産まれながらにして人生ハードモードの人もいれば、イージーモードの子供もいる訳です。
- 親ガチャで貧困家庭に当たれば、もし大学に行くことになると400万の奨学金借金は背負う必要が。
- 資産家の親だと、その資産でさらなる資産を産むことができる。
- 育児放棄の親だと目も当てられないほど悲惨な結果になる可能性も。
どうですか?結構悲惨じゃないですか?
特に③なんて、2019年に入っただけでもう何回目のニュースだろうと錯覚するほど育児放棄、児童虐待のニュースを聞きます。
前置きが長くなりましたが、このような「親ガチャ」による不平等は、運よく大学卒業までこじつけたとしても、就職活動でまたその不利益を被りかねない学生も一定数いるのではないかと感じたんですよね。
人物採用という言葉は聞こえは良いが、それは20年間生まれ育った家庭環境を映し出す鏡でもある。

では、本題に行きましょう。
僕は就職活動を通して「人物採用」ということばにたくさん出会ってきました。
マイナビやリクナビのイベントでは「弊社は人物重視採用ですので、面接は全て個人面接とします」という人事のセリフには腐る程出会ってきたし、僕が内定を頂いた企業も例に漏れず人物重視採用を唄っていました。
ちょうど5年くらい前でしょうか、学歴によって説明会が空席だったり満席になったりするというニュースが大きく取り沙汰になってからよいうもの、
昨今の学生側、企業側の両サイドの「学歴差別は悪である」という認識はかなり強くなっていると思います。
もちろん、いわゆる日本的な頭の良い人は偏差値の高い大学の方が絶対数は多いと思いますが、それは貧困による進学困難者が見えていません。
そういう事情が幅広く浸透していった結果としての、人物重視採用なのかもしれません。
人物採用の問題点は基準点がかなり主観的で曖昧である点だと思う。
僕はFランクの国立大学の学生ですので、周りの学生の中には、
「人物採用の企業だと学歴差別がない」だとか、「とりあえず出した企業がたまたま人物重視採用でES受かったわwww」みたいな声を多々聞いてきました。
けど、

と、僕は一人疑問に感じていたんですよね。
だって、人物重視採用って「この人と働きたいかどうか」だったり「人間的な魅力があるかどうか」のような、主観すぎてワロタって感じの曖昧な指標だと思いませんか???
もちろん、実際に企業内部で働いている人事の方からすれば、「この学生は、弊社で働けるだろうか。」「弊社の雰囲気と合致しているだろうか」という視点はもちろん大事だと思いますが・・・
個性や人格の育成にはかなりの時間がかかるという考えから見える親ガチャの影響
これまでのことを踏まえて、「人物重視採用=個性や人格を評定する採用方式である」と仮定するならば、
早くても22才で就職活動をしていることも加味して、それぞれの学生の22年間の成長課程による結果を見ることこそが人物重視採用の本質になるのではないでしょうか。
22年間で人間ってどれくらいの人と会って、接して、別れていくのでしょうか。
その具体的な数は知りませんし、調べようとも思いませんが、
1つだけ確かなことは、人格形成に一番大きな影響を与えるのは家庭環境であるということです。
例えば、親ガチャがハズレてしまって、いわゆる毒親の元で育った人がまともな人間になる確率って相当低いのではないかと思います。

まあ、それぞれの採用方式で詳細はかなり違うと思いますので、全く同じと言い切るのは早計ですが、少なからず親が選べない当たり前の状況によって生じる差別が、働き口、さらには生涯年収に大きな影響を与えるというのは問題だと思います。
これは親も子供も悪いのではなくて、社会構造が悪いと思います。
僕は山本太郎議員のことを支持している訳ではありませんが、彼がよく選挙活動でこれと似た問題に言及しているところを見ると、心が苦しくなります。
学歴採用、人物重視採用の前に、家庭環境が一番大事なんだと思う。
結局のところ、このような問題を議論しようとすると、どうしても立ちふさがるのが、
「全ての人間は平等であるべきかどうか」という命題です。

法や憲法の下では、全ての人間は平等であるかのように見えますが、人間的な営為活動がお金などの経済活動中心に回っていることを鑑みれば、
少なくとも資本(お金)を持っている人の方が、資本主義社会では優位に生活することができますし、それは大学進学や就職といった教育機会や就労機会にも影響を及ぼすものであると考えるのが一番です。
もちろん、今回の話は「お金があるかないか」の話ではなく、「良い親の元に産まれるか、悪い親の元に産まれるか」ということに言及しているのでまた話が逸れているように感じますが、
結局のところ、学歴採用でも人物重視採用でも、「親を選べなかった層が不利益を被る」社会構造は問題だよねってことは、これからの日本を担う私たちが頭の片隅に置いておくべき問題であると思います。